2019年度西条YEG会長だった人のブログ

西条YEG 第38代会長・第38回四国ブロック大会西条大会、実行委員長だった高瀬裕介です。時計・宝飾・メガネのタカセを営んでおります。気楽に書きたいと思います。

密は正義

仙台育英の監督の言葉、

「青春は密」

素晴らしいスピーチだった。

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甲子園や高校野球

多くの問題はあるが、

それは置いておいて、

言葉のチカラを思い知った。

 

この監督さんが考えたのか、

以前からある言葉なのかは知らないが、

私は初めて聞いた。

「青春は密」

素晴らしい言葉だと思う。

コロナのない青春を謳歌してきたから、

よくわかる。

 

YEG活動も人が集まって、

密になって、膝を突き合わせてナンボの世界たが、

それがやりにくい状況。

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でも、

なんとか工夫して、

その楽しさを伝えていくのが、

コロナ前から活動している人間の仕事。

正直、本当にやりにくいけど、

なんとかせねば。

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なんとなくだが、

西条YEGの一体感、盛り上がりが欠けている感じがする。

コロナ的な問題もあって、懇親会の参加人数が少ないからか?

産業文化フェスや紺屋町BARなどの全体での作業や、

その後の打ち上げがないからか?

言葉にしにくいけど、初めて委員長をしていた時の、

あのワクワク感。

あの感覚を会長含めて役員が持てれば、

委員会や役員会も活性化するんだと思う。

まぁ、

あのワクワク感は初めての委員長だけの特権か・・。

 

来月は久しぶりの視察事業が控えている。

早朝に会議所に集まって、

ワクワクしながらバスに乗り込むのが今から楽しみだ。

 

 

 

四国ブロック大会西条大会(完)

もし、

私ではなく、別の誰かが実行委員長をしていたら、

どんな西条大会になったんだろう?

時々そんな風に思う時がある。

もっと西条YEGをまとめていたのではないか?

もっともっと面白い大会が出来たのではないか?

イケイケで社交性抜群の津島副会長なら?

初志貫徹の曽我副会長なら?

そんなことを考えても、

何の意味もないけど、

時々思う。

別に西条大会に後悔もないし、

本当に全力でやりきったと思っている。

これまでの歴代実行委員長も、

そんな風に考えるものなのかもしれない。

実行委員長を経験出来たのは、

間違いなく私の人生にとってプラスでしかなく、

稲見ブロ代、徳田会長、

そして5人の部会長を中心に、

支えてくれた西条YEGメンバー、

余吾事務局には感謝しかない。

次の西条YEGの大きな山は、

令和7年度の県大会西条大会。

その大会会長や実行委員長を、

西条YEGの誰かがやる。

バトンを次に繋ぐために、

そう、後から来るもののために。

 

もし、そこに名前が上がった人は、

是非受けて欲しい。

間違いなく大変だとは思う。

でも、それ以上のことが間違いなく待っている。

そのポジションで踏ん張った者しか見ることが出来ないモノが、

感じることが出来るモノが、

必ずある。

最後は選んでくれて、経験させてもらってありがとう。

そうメンバーに感謝することになるから。

それを言いたくて、

西条大会を振り返ってきた。

 

四国ブロック大会西条大会に関わってくれた、

参加してくれた、

全ての人に感謝しています。

ありがとうございました。

 

あ~、スッキリした(笑)

 

 

四国ブロック大会西条大会⑨

式典が終われば、

もうお祭り。

まずは、各分科会に分かれていく。

私も各分科会に顔を出したが、

担当する西条YEGメンバーの良い顔が最高だった。

緊張感を持ちながら、

本当に気合が入っていて、

でも、笑顔でリアル開催を楽しんでいる。

そう、これこそが西条YEGが目指した大会。

参加する側も、迎える側も笑顔笑顔。

どの分科会も予定通りとはいかなかった部分もあったが、

そんなものは西条YEGメンバーが、

また参加した他単会メンバーが工夫して対応してくれた。

みんなで盛り上げてくれた。

全てを見ることは出来なかったが、

後から聞いた話だと、どの分科会も盛り上がったとのこと。

分科会に多くの登録をしてくれて、

本当に嬉しかった。

分科会の登録を募っている時に、

矢野直前が、丸亀YEGメンバーが、

「登録どうや?もし、人数欲しかったら言えよ」

次年度開催予定の須崎YEGメンバーが、

「何でも言うて下さい、西条YEGに必ず協力します」

また、中津YEGメンバーが、

「どの分科会に登録しようか?」

皆んなが西条大会を盛り上げようと、

助けてくれていた。

本当に嬉しかったし、

ブロック大会を主管する意味も、

こういった繋がりが出来る、

そんなところにもあるんだと思った。

そして、最後は交流会。

内容は参加したメンバーだけの最高の思い出として、ここでは書かない。

ただ、そこには西条YEGの、

私や稲見ブロ代、徳田大会会長の見たかった景色が広がっていた。

間違いなく、西条YEGが目標としていた、

「西条大会はリアルで全部やる」

これが達成出来たのだ。

 

色々と問題が起こったり、想定外なことも起きたが、

失敗したというか、もっとうまく段取り出来なかったかなと、

後悔というか、反省しているのが2点。

1つは、西条YEG全体の集合写真が1枚もない。

撮る気持ちの余裕が私になかったのだ。

もう1つは、式典や、

最後の交流会を西条YEGメンバーはほとんど見れていない。

これは、本当に申し訳なかった。

 

最後の挨拶で、

この素晴らしい光景を、

あの素晴らしかった式典を、

盛り上がった分科会を全て見たのは、

稲見ブロ代、徳田大会会長と私だけなのだ。

あとの西条YEGメンバーは、

みんな裏方に徹してくれた。

私は本当に感謝しているし、

参加したメンバーの皆さんも、

そんな西条YEGメンバーに拍手を送って欲しいと話した。

大会は始まったらすぐに終わるよ。

しっかり大会を見て、

髙瀬君が本当に楽しんでよ。

式典前に誰かに言われた言葉、

その通りにあっという間の、

夢のようなキラキラと輝いていた2日間だった。

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四国ブロック大会西条大会⑧

12月3日、

いよいよ本番を迎える。

朝起きて会場に行く前に、

開会宣言を練習するが、

初日の疲労と緊張と不安と楽しみと、

やっとここまで来たという感覚がごちゃ混ぜで、

練習にならない。

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そんな中、会場に着くと、

笑顔の赤ポロがいっぱいいる。

いつものメンバーがそこにいた。

みんなの顔を見るとグッと楽になり、

その横で組立が始まっていた分科会に使うだんじりを見て、

凄くワクワクしたのを覚えている。

物産展の段取りや、

式典会場などの最終確認をしていると、

各単会がドンドンと会場入りしてくる。

知った顔が挨拶に来てくれ、

「いよいよやな」

「楽しませて貰うよ」

「よー頑張ってきたな」

沢山の言葉を貰う。

正直、泣きそうになった。

本当に嬉しかった。

会場入口のあちらこちらで、

YEGメンバーが握手をし、再会を喜んでいる。

これが、これこそがリアル開催やと。

さぁ、やってやるぞと、

西条YEGメンバーも緊張感もあるが、笑顔でやるべき仕事を進めていく。

それぞれが良い顔をしていて、

それが、とても嬉しかった。

あの日の馬場実行委員長の言葉通りになっていた。

そして、始まった式典。

オープニングムービーが流れ、

稲見ブロ代が入場する。

予定通りの始まりで、会場も盛り上がってくれる。

あれほど練習した開会宣言、

退場時に福森西地区副会長が、

バッチリやったぞという顔で拍手をくれたのを見て、

成功したんやなと確信。本当に嬉しかった。

稲見ブロ代や、徳田大会会長の挨拶、

順調に進む式典を舞台袖で見ながら、

あの県大会の失敗を思い出したりしていた。

 

そこに少し油断があったのだろう。

参加単会紹介が進み、

同期会長の連中の顔が見えたりして、

少し涙ぐんで浸っていると、

企画委員会から、

「ん?実行委員長。登録者数発表やから出番ちゃうか?」

そう、最後の出番を完全に忘れていたのだ。

小走りで演台までいって、

徳田会長や西条YEGの皆に笑われたのは、

今となってはいい思い出。

横山次年度へのサプライズも成功し、

本当に西条YEGらしい、

締めるところはビシッとし、

遊ぶ部分も大切にする。

そんな記念式典は幕を閉じた。

 

大会は始まったばかりだが、

かなり気持ち的には楽になった。

 

 

四国ブロック大会西条大会⑦

大会前日を迎えても、

まだまだ終わらない作業をみんなに任せて、

次年度開催地の須崎のみんなと軽く飲みに行った。

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疲労と不安と楽しみがごちゃ混ぜになって、

あの日、粉屋で飲んだがイマイチ覚えていない。

 

そして、ついに始まった西条大会。

朝、起きた時の感覚は覚えのある感じだった。

西条祭りでの団長初年度のそれと同じ。

大きな緊張と不安、

そして楽しみと、

もうやるしかないから楽しもうと腹をくくった。

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まずは、12月2日の諸会議が始まった。

私は式典会場で分科会の設営と、

前日リハに参加。

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ドリーマーで開催中の諸会議も気になったが、

津島部会長からは何の連絡もなかったので、

上手くいっていると思っていたし、

諸会議部会に任せておけば問題なく、

私の出る幕はないと思っていた。

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前日リハも曽我部会長を中心に式典部会がキビキビ動き、

段取り良く進む。

さすが西条YEGじゃ、本当にそう思った。

紺屋町BARなどの設営などでも毎回感じるが、

遊びを入れながらも真面目に動く、

西条YEGのこういった時の動きが好きだ。

どこよりも完璧なリハじゃないか?

勝手にそう思っていた。

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そして、

ドリーマーでの情報交換会も大成功に終わり、

西条に多くのお金が落ち、

四国内外から参加してくれたYEGメンバーのあの笑顔は、

最後の最後まで頑張ってくれた諸会議部会を中心とした、

西条YEGメンバーの頑張りだと思う。

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西条大会が成功した1つの要因は、

西条YEGメンバー自体が、

苦労がほとんどだったとは思うが、

そんな中,それぞれが楽しめたからではないかな?と思う。

 

12月2日、

怒涛の1日目があっという間に終わった。

 

 

四国ブロック大会西条大会⑥

延期が決まって、実はホッとした気持ちがあった。

広報関係や、返礼品、大懇親会など多くのことが、

遅れ気味だった。

これは部会長や各部会のせいではなく、

私のスケジュール管理や指示が悪かったせい。

延期をキッカケに、

再度スケジュールを練り直し、

各部会に担当事業を進めてもらった。

私自身も予算を再度練り直し、

何回も何回も収入と支出の計算をした。

ただ、おもてなしに力をいれるため、

どう計算してもちょい黒字かそこそこの赤字になっていた。

この予算に関しては、

めちゃくちゃ不安だった。

8月以降は昼夜を問わずに、連日の会。

各部会は単会の活動もしながらで、

本当に忙しかったと思う。

部会長の5人には、かなり仕事を丸投げして頼ってばかりで、

本当に負担を掛けた。

何かあるたびに招集して、会をしていないと不安でしょうがなかった。

 

そんな中、全国のブロック大会が始まっていく。

トップバッターは網走大会、

完全オンラインとなった大会をネットで視聴した。

他のオンライン開催となったブロック大会もそうだが、

挨拶するメンバーの熱い言葉がたまらない。

その度に、西条はやるんだ。

絶対にリアルで全部やるんだと、

エネルギーをもらった気がする。

西条大会のある12月は登山が危険ということで前倒しでの開催となった、

石鎚登山分科会が11月3日に

晴天の下、開催された。

多くの単会から登録して頂いたが、

この分科会は岡山YEGと中津YEGに勢いを付けてを貰った。

この分科会がキッカケで、

2単会とは繋がっていくことになるが、

それは大会後の話。

登山分科会の成功は、

西条YEGメンバーに、何より私に、

「よし!西条大会本番も絶対成功出来る」

そう、勇気をくれる分科会となった。

企画し、色々と段取りをし、

当日は重たい荷物を1人で運び、

大活躍の曽我部会長には感謝しかない。

また、

西条以外で現地開催出来たのが豊田大会。

規模はかなり縮小しての開催だったが、

やはりリアルは面白い、それをしっかりと確認出来た。

寺田ブロ代や山下実行委員長が、

「次は西条さんですね!必ず行きます、西条で会いましょう」

そう言ってくれる。

豊田大会は、我々の背中を強く押してくれた。

その帰路の途中、Yランドリーグで全国優勝し、

勢いを貰い、大会本番まで毎日休みなく会が続いた。

会の合間を縫って、

多くの作業もこなす。

前回の県大会西条大会での経験を活かし、

西条YEGらしく作れるものは自分たちで作ってみようと、

パーテーションなどはメンバーの工場をかりて、

自作したのも、いい思い出。

 

こういった作業などに時間を割いて出てくることで、

いつもとは違う話をする中で、

仕事の気づきもあったり、信頼関係も生まれてくる。

 

YEGは卒業がある。

限られた時間の中で、各事業などにどれだけ参加出来るかで、

卒業する問までに得られる物や仲間の数は全然違ってくる。

このコロナ禍だからこそ、そこを伝えていきたい。

 

振り返れば、

花山会長年度の松山大会の時に、

西条大会のために多くのメンバーで参加して、

四国ブロック大会の現場を見ようと花山会長がメンバーに伝えた。

そして、

加藤会長年度から計画してきた四国ブロック大会西条大会。

ここまで本当に長く苦しい道のりだったが、

振り返ると、あっという間な気もした。

いよいよ西条大会本番である。

 

 

 

四国ブロック大会西条大会⑤

結果的に延期することに決まるのだが、

その間に、

徳田大会会長と余吾事務局とはかなり協議した。

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あの言い出したら絶対にブレない稲見ブロ代が言ってきた延期案。

基本的に西条大会の中身は任せると、

とにかく西条にお金が落ちて、

西条にきてくれるYEGメンバーに楽しんで帰ってもらってくださいと。

それ以外は基本的に実行委員会にノータッチだった彼が強く言ってきた延期案。

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延期したから必ずリアルで出来るわけでもなく、

延期は絶対にないと思っていたメンバーのモチベーションの問題や、

年明けには西条YEGの40周年事業も控えている。

徳田大会会長と余吾事務局とのやりとり、

どういった話をしたかなど、もう覚えていない。

ただ、延期で動き出そうと決めた。

 

まず、部会長など三役に説明したが、

満場一致での賛成はない。

延期すべきではないと意見が出る、

当たり前である。

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ただ、実行委員長が決めた以上は一緒に進むという言葉を貰い、

臨時の実行委員会で説明。

言いたいこともあったと思うが、

みんな多くを語らず延期で進むことに。

これは本当に有難かった。

 

そこからは稲見ブロ代や徳田大会会長が日本YEGや、

四国の単会に連絡し根回しをして、

四国ブロックの臨時役員会で承認を得ることになる。

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ちなみに、この四国26単会への連絡事、

これは徳田大会会長が全て1人で行った。

愛媛県下は直接、各単会会長の事業所まで足を運んでくれていた。

分科会への動員や、大会への登録などのお願いや状況確認など。

本当に大変だったと思う。

徳田さんはあまり大変さを見せなかったが、

コロナ禍での単会運営含めて凄いストレスだったと思う。

こういったことも含め、

大会会長は徳田さんが適任だったと思う。

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徳田会長とは毎日電話やメッセンジャーでやり取りをしていたが、

本当に上手く私が動けるように支えてくれた。

イケイケでブレない稲見ブロ代と、

徳田会長と私との組み合わせも自分で言うのもなんだが、

良かったのだと思っている。

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そして、

西条祭り前に予定していた西条大会が、

まさかの年末になった。