その日の天気は覚えていません。
紺屋町BARの片付けなども終わった夏の日、
2017年8月15日
朝9時から私は会をしていました。
西条YEG次年度会長を決めるため。
立候補を考えていた2人、
私と加藤さんと直接ゆっくり話し合おうということで。
二人っきりで意見をぶつけ合いました。
西条YEGへの想い、自分のやりたいこと、
自企業の状況、西条YEGの課題、
その当時、少しだけ見えてきていた四国ブロック大会のこと。
とてもいい時間だったと思います。
その結果、
私は引きました。
意見をぶつけ合った時に加藤さんの組織をみてみたい。
そんな風に少しだけ思ったんです。
その時に、スッと心の中の何かが消えました。
「あぁ、僕が引こう・・・」
数日後、加藤さんに連絡をしました。
「次年度お願いします」
凄くスッキリした気持ちになりました。
応援してくれていた人や、
相談していた人には申し訳なかったですが・・・。
加藤さんからは、
「ありがとう。高瀬君も絶対会長せないかんよ」
「第1副会長を受けてね」
そう言われたと記憶しています。
第1副会長は即OKしました。
第1副会長として加藤会長を、
西条YEGを盛り上げようと決心しました。
ただ、内心会長をやるかは「?」でした。
正直上げていたモチベーションは一旦下がりました。
でも西条YEGのメンバーやYEGでの活動は好きなので、
自然と次年度もう一回立候補したい、
そう考えるようになりました。
僕は争い事は嫌いです。
でも、その当時は絶対に引かないと強い気持ちで加藤さんにぶつかりました。
この当時の事は、今会長をしている中でとても貴重な経験になっています。
こういった会の会長って手が上がらないのが普通。
昨年4月の東京での会長会議の時に誰かの言葉で、
「うちの単会では会長は罰ゲームみたいなもんよ」
そんな言葉を聞いたことを覚えています。
ここ数年、西条YEGは毎年会長に立候補する人が数名出る、
スゴイことだと思います。
でも、会長を出来る人は毎年1名、
だからこそ、
会長を受けた人間は、だれよりも西条YEGを、
西条YEGメンバーを愛し、
必死でYEG活動を頑張るのかもしれません。
今年から四国ブロック大会実行委員会も本格的に動き出し、
実行委員長としての役割もありますが、
まずは、3月31日までの会長任期をしっかりと完走したいと思います。