「西条大会はリアルで全部やる」
丸亀大会に参加して、
より強く思うことになった。
丸亀YEGさんが必死で繋いでくれたバトンを最高の形で次に繋ぐんだと。
私自身も、馬場実行委員長から重たいバトンを受け継いだ。
ただ、馬場君のあの開催宣言、
この人の後の実行委員長は大変だ、
このコロナ禍で、やりきった丸亀YEGさんの後は大変だと。
実行委員長は俺で本当に大丈夫か!?
と、凄いプレッシャーに押し潰されそうになっていたのは覚えている。
そして再度動き出した西条YEG、
毎月開催した、部会長会に実行委員会、
「絶対に聞きたい人以外の講演会はやめよう」
「分科会は全て開催地テーマの原点を感じるものにする」
「WEB返礼品は西条らしいもので、何種類も選べると楽しいから準備する」
「おもてなしに多くの予算を」
全てが開催地テーマ、
「原点 ~楽しくなければYEGじゃない! 本気で交流 西条流~」
これに沿っているかどうか。
各部会の仕事も明確に見えてきて、
分科会も大まかに見えてきた。
あと、西条YEGが恵まれたのが、
西条市、親会が前向きに応援してくれたこと。
これは勇気づけられた。
そして次の山、
四国ブロック役員会などの諸会議。
丸亀年度の最後の役員会、
設えは西条YEGで西条市での開催、
失敗するわけにはいかない。
津島部会長率いる諸会議部会を中心に、
ハイブリッド対応の準備が進む。
諸会議部会の「誰が不在でも対応可能な状態にする」という言葉通り、
各自が誰かに任せるのではなく、
自分から動く。
本当に頼もしかった。
担当した諸会議部会を中心に、
西条大会にむけて、
各自に少しずつ火が入り始めた感覚を持った。
いつだったか、
馬場実行委員長に言われた言葉、
「高瀬さん、メンバーに多くを求めてはダメ。実行委員長や部会長のようなテンションにはならないよ。ただ、頑張っているうちに必ず助けてくれる。最後は火が入るから、そこに注力しないように。」
これを思い出す。
そして、
いよいよ稲見、徳田年度が始まり、
西条YEG主管の年度が始まった。