実行委員長として、
2019年の年末に実行委員会の立ち上げ準備委員会を開催し、
ざっくりと今後の進め方を決めた。
が、ある程度は例年通りな部分がある単会の会長職と違い、
どう進めていいやら全くわからない状態だった。
そして、
2020年2月に第1回実行委員会を開催。
西条での開催が約30年ぶりで、
全てが手探り、何から協議していいかも分からない状態。
大会規模は?予算は?目標登録数は?会場は?
私自身が西条大会の全体像を描けれてなく、
ゴールが見えていないので、実行委員会の進め方も悪く、
明らかに意見のまとまらない実行委員会。
そして、
「コロナウィルス」
自身の会長職が終わり、白石会長年度に入り、
第2回、3回目はZOOMでの実行委員会を開催するが、
コロナ禍で単会運営自体がストップしている状況、
私含めて、遥か先に感じていた西条大会の協議に気持ちが入りきらず、
手ごたえの得られない時間。
このままでは絶対に上手く進められないと思い、
相談しようと部会長を集めた会で、
「実行委員長、方向性が見えん」
「実行委員長のやりたい大会がわからん」
「誰が仕切るん?」
「一度、ブロ代と大会会長と話し合って、誰が旗を振るか?きっちり決めてほしい」
正にその通りだった。
たぶん、私の「覚悟」みたいな物が足りなかったんだと思う。
稲見君、徳田さんと多くの言葉を交わし、
時には意見をぶつけあった。
そこで3人の役割も決まり、
ぼんやりと西条大会の目標が見えくることになった。
その過程で、
私に一任された大会スローガンも決まった。
「原点」~楽しくなければYEGじゃない!本気で交流、西条流~
このスローガンに何度も助けられるとは、
この時は思いもしなかった。
そして、
最初の山を丸亀大会でのPRに設定し、
進めていくことに。
広報の藤原部会長と相談しながら横断幕、のぼりなどが出来上がり、
丸亀大会で使うPRビデオ撮影をし、PRの練習をするうちに、
徐々にだが実感がわいてくる。
そして迎えた丸亀大会、
丸亀大会を経験することによって、
私含め、部会長以上のメンバーのスイッチが入った。