結果的に延期することに決まるのだが、
その間に、
徳田大会会長と余吾事務局とはかなり協議した。
あの言い出したら絶対にブレない稲見ブロ代が言ってきた延期案。
基本的に西条大会の中身は任せると、
とにかく西条にお金が落ちて、
西条にきてくれるYEGメンバーに楽しんで帰ってもらってくださいと。
それ以外は基本的に実行委員会にノータッチだった彼が強く言ってきた延期案。
延期したから必ずリアルで出来るわけでもなく、
延期は絶対にないと思っていたメンバーのモチベーションの問題や、
年明けには西条YEGの40周年事業も控えている。
徳田大会会長と余吾事務局とのやりとり、
どういった話をしたかなど、もう覚えていない。
ただ、延期で動き出そうと決めた。
まず、部会長など三役に説明したが、
満場一致での賛成はない。
延期すべきではないと意見が出る、
当たり前である。
ただ、実行委員長が決めた以上は一緒に進むという言葉を貰い、
臨時の実行委員会で説明。
言いたいこともあったと思うが、
みんな多くを語らず延期で進むことに。
これは本当に有難かった。
そこからは稲見ブロ代や徳田大会会長が日本YEGや、
四国の単会に連絡し根回しをして、
四国ブロックの臨時役員会で承認を得ることになる。
ちなみに、この四国26単会への連絡事、
これは徳田大会会長が全て1人で行った。
愛媛県下は直接、各単会会長の事業所まで足を運んでくれていた。
分科会への動員や、大会への登録などのお願いや状況確認など。
本当に大変だったと思う。
徳田さんはあまり大変さを見せなかったが、
コロナ禍での単会運営含めて凄いストレスだったと思う。
こういったことも含め、
大会会長は徳田さんが適任だったと思う。
徳田会長とは毎日電話やメッセンジャーでやり取りをしていたが、
本当に上手く私が動けるように支えてくれた。
イケイケでブレない稲見ブロ代と、
徳田会長と私との組み合わせも自分で言うのもなんだが、
良かったのだと思っている。
そして、
西条祭り前に予定していた西条大会が、
まさかの年末になった。