大会前日を迎えても、
まだまだ終わらない作業をみんなに任せて、
次年度開催地の須崎のみんなと軽く飲みに行った。
疲労と不安と楽しみがごちゃ混ぜになって、
あの日、粉屋で飲んだがイマイチ覚えていない。
そして、ついに始まった西条大会。
朝、起きた時の感覚は覚えのある感じだった。
西条祭りでの団長初年度のそれと同じ。
大きな緊張と不安、
そして楽しみと、
もうやるしかないから楽しもうと腹をくくった。
まずは、12月2日の諸会議が始まった。
私は式典会場で分科会の設営と、
前日リハに参加。
ドリーマーで開催中の諸会議も気になったが、
津島部会長からは何の連絡もなかったので、
上手くいっていると思っていたし、
諸会議部会に任せておけば問題なく、
私の出る幕はないと思っていた。
前日リハも曽我部会長を中心に式典部会がキビキビ動き、
段取り良く進む。
さすが西条YEGじゃ、本当にそう思った。
紺屋町BARなどの設営などでも毎回感じるが、
遊びを入れながらも真面目に動く、
西条YEGのこういった時の動きが好きだ。
どこよりも完璧なリハじゃないか?
勝手にそう思っていた。
そして、
ドリーマーでの情報交換会も大成功に終わり、
西条に多くのお金が落ち、
四国内外から参加してくれたYEGメンバーのあの笑顔は、
最後の最後まで頑張ってくれた諸会議部会を中心とした、
西条YEGメンバーの頑張りだと思う。
西条大会が成功した1つの要因は、
西条YEGメンバー自体が、
苦労がほとんどだったとは思うが、
そんな中,それぞれが楽しめたからではないかな?と思う。
12月2日、
怒涛の1日目があっという間に終わった。